カミングアウトします。

これまで掻い摘んでたった一人にはザッと
話した記憶は有ります。
それ以外に話した事は有りません。

私は過去に壮絶な虐待に遭っていました。
その内容は半端では有りませんでした。
知り合いの編集者には本当に上辺だけを
話した事が有ります。
しれが話したたった一人かも知れません。

話の切っ掛けで虐待の話になりました。
本当に酷い精神的、肉体的虐待に遭って居ると
話せないんだよね。
と一言呟いたんだと思います。

彼女はその事から何かを悟ったのでしょう。
「itと呼ばれた子」という壮絶な事実であるその本を
知っているか私に尋ねました。
知りませんでしたか、勿論怖くて目には出来ません。

詳しくは話していないにも拘らず
彼女は出版してみないか、と打診をしてきました。
少し心の整理をする意味でも
途中まで記しましたが、苦しくそれ以上は難しく
なりました。そのまま保留です。決定稿はありません。

こめかみや背中、腰には殴られた痕が未だに
消えず残っています。
「あんたを手で殴るとこっちの手が痛いから
これが良いゎね」そう言って「その人」は
掃除機の棒、傘の柄、竹箒で打ちました。
逃げました。

「逃げ足だけは早いんだから捕まらないじゃない」
テーブルの下に丸まりました。。。
「その人」を見上げました。
泥棒猫みたいな目しやがって、なんだその目は。
引っ張り出され、蹴飛ばされました。
階段の乗降はうるさい、そっと上れば
わざとだ、嫌がらせか、殴られました。

私の居場所、冬は霜が降りそうでした。
戸外にも出され肺炎にもなりました。
事故にも遭った。肋骨がその当時のまま
固まってしまっている様です。
そんな具合悪いわけないんだから、この子は
わざと痛そうにするんだから、
事故を目撃した方に連れられて家に帰った時の
その人の言葉が遠くに聞こえました。

一日に何十回となく
「あんたなんて生まれて来なきゃ良かったのにねぇ、
何で生まれたんだろうね」

何十年も生を否定され続けた事は
体の傷どころでは無い程、心に根差している。
4才頃から始まったそれは(正直、虐待という言葉を
用いる事すら未だに憚られ)
本当に自分は存在があってはいけないんだな、
と思っただけ、苦しくも悲しくも無かった。
今でも自己肯定感はありません。感じません。

愛された記憶もありません。

小学校3年か4年頃、生きてちゃいけないの?
と「その人」に聞きました。
その人は
そんな死にたいの?だったら殺してあげようか、
あぁ、ダメだダメだ。あんたなんか殺して牢屋に
入るのなんてバカらしいからね。
死ぬんなら勝手に誰も知らない所で死んでよね。

今、自分を振り返ります。
何故、私がここまでゆきに依存したのか。

犬を迎える理由で、自分の人生の置き換え
代償として犬を迎える場合、
犬は余り幸せになれない、本当に自分が
満たされ幸せの中で迎え入れられる状況で
ないと余り良くない、的な事を或愛護団体の代表が
言っていました。これは譲渡した仔が
脱走をしてしまい、搜索に加わった際聞きました。
その脱走をした家庭に出入りしているシッターも
搜索に参加しましたが、彼女の顔を見た
その代表は
あの人は、犬が好きだから犬に関わるんんじゃなくて
自分が何か満たされないからなんだと思う。
そう感じる。。。とか何とか言い方は定かでは
有りませんがその様な事を話していたと思います。
そして前述の様な事を言いました。

それは犬は代償でなく、そのもので愛しましょう
という意味なのでしょうか。

恐らく私は、自分の人生の代償として彼女を
迎えたといった意識も何も全く有りませんでしたが
ゆきはその全てを満たし、満たし過ぎる程の仔でした。

余り目立って生きたくなく、ひっそりと生活を
したい私を彼女は、人気者にし陽のあたる場所へ出し
人生の楽しみを教えてくれました。。。彼女を通し
数え切れない優しさに触れました。

今もです。。。

前後しますが、私は多趣味でした。
格闘技関係、クラッシック音楽、ワイン、車、
ダイビング、国際交流からディベイト等あらゆる
サークルに入っていました。
今思えば、何かを掴みたかったのかも知れません。
自身の生の存在感、アイデンティティを模索
していたのでしょうか。それなりに楽しかったのかも
判りません。
宗教にも嵌りました。キリスト系はモルモンから
英国国教、プロテスタント何十派、カトリック何十派は勿論、
危ないカルト教団
新興宗教、仏教系も真言、曹洞宗、日蓮宗、
日蓮宗を否定する
日蓮正宗名乗る悪名高き創価学会、
そこから分派した二つの会。。。
何十、何百かも知れません。或時には重なり
教義を貪り学びました。
行き着いた所は、何て事の無い結果でした。
全ての宗教は「嘘」だと。
外からではなく、中から否定出来る程勉強しました。

一連の上辺かじりの趣味も、宗教も
満たしたいが為といった歴然とした理由は無かった
と思いますが、実際にはそうではなく
得体の知れぬ空虚感を埋めたかったのかも知れません。
それなりに興味深く面白かったと思います。

しかし

ゆきは、それら全てを包括しても仕切れない、
信じられない程のあらゆる事物には遠く及ばない程
何もかも凌駕した仔でした。
特に目的も無く迎えた仔が、まるで天使でした。

心から救いの天使でした。
生まれて初めての救いだったかも知れません。

彼女は知らぬ間に私の命となりました。

彼女が或人の生まれ変わりだと信じていました。
このブログでも何度も書いた記憶があります。。。

虐待をした本人に付随した輩が何人もいました。
その本人達は、その事実すら忘れているのです。

読み返し無く、意識が朦朧としています。
意味分かりましたか。。。文章も滅茶苦茶です。