5~6つ在ったと思う火葬炉は全て
一杯だったのだろうか。その前に
立て掛けられた遺影は皆、年配の方々。

その中の母は一段と若かった。
一瞬憐憫を感じたかも知れない。
30代。。。
しかし母親が亡くなったばかりの頃には
然程嘆き悲しんだ記憶は無い。
幼な過ぎた故なのか否か。

数年後、戸籍謄本を取りに行く必要に迫られる。
名前の上に大きなバツが付き抹消されて居た。
これを目の当たりにした際の方が衝撃が走る。
本当に命は「消された」と実感した気がする。

父親の場合にもやはり数年経ち
戸籍を見る機会が有るも

一度母親で経験して居た故か
自分也に心して居たかも知れない、
バツ印の抹消は、判って居た事だろ?と
落ち着き自身に言い聞かせられた。
それでも50代の死は早い。

志半ばにしての死はどれ程無念だった事かと
今、考える。

両親始め他のニンゲンの死は
数え切れない程、目の当たりにし送った。
最初の頃は数を数えて居たが
段々と虚しく感じ、途中で止めてしまう。

目の前に在るのは、
全ての活動を不可逆的に停止した
無機質な冷え切った身体だけだった。
悲しみを超越してしまったか
寧ろ、何も感じなくなって行った。

---しかし---

イヌの死は経験が無い。耳にした事は
何度も有るが、実際現実的に自分がその場に
立ち会った事も、臨終間際傍らに居た
経験も一切無い。皆無。

どうなってしまうのか、どの様な経過を
辿るのかも全く未知。想像も付かない。
であるからこそかも判らないが怖い。
本当に怖い。唯、恐怖に支配される。

本当に死の予感は有るのだろうか
それを澄み切った心でキャッチ出来るのか
一緒に「死」まで穏やかに進めるか。
どの段階でセデーションに入れば良いのか。。。

大変に不謹慎極まり無い事だが
両親の死より深い悲しみに襲われ、
正気を失い、真っ暗な慟哭の渦に飲み込まれ
廃人同然となる自信が有る。
。。。全く変な自信だ。。。

生活の全てがゆき在ってのモノ。
ゆきが全て。
周りが心配する様、ゆきが居なくなれば
確実に惑乱し精神に障害を来たすだろう。
だがそれで良いと思って居る。
それで。
それ等全てがゆきを命そのものとした証。

それでも生きて行かなければ
ならないか。
自分の魂も空へ一緒に舞い昇って
行くのだろうか。